松本先生インタビュー⑩腹膜透析が日本で普及しない要因

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松本先生インタビュー⑩腹膜透析が日本で普及しない要因

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松本先生インタビュー⑩腹膜透析が日本で普及しない要因

[松本先生インタビュー⑩腹膜透析が日本で普及しない要因]

  • 川原腎・泌尿器科クリニック(鹿児島県姶良市)
    腎不全外科科長・腹膜透析センター長
    松本 秀一朗 様

聞き手:

  • 医療コンサルタント 大西 大輔(MICTコンサルティング株式会社 代表取締役)
  • 医療法人明洋会 理事長 柴垣 圭吾 様

松本先生: 透析患者さんは、なかなか自宅で最期を迎えることができません。黒部市民病院の吉本先生の調査によれば、透析患者の8割以上が病院で亡くなり、18%は院外での突然死です。

つまり、ほぼ誰も在宅、畳の上では亡くなっていないというのが現状です。病院と関わることで、平穏な最期を迎えることが難しくなるのです。

これは多くの先生方も指摘していますが、透析患者さんにとって、今の日本では「選択肢」がない状況に近く、それがとても残念だと思います。だからこそ、腹膜透析を選ぶことには意味があると考えています。これも腹膜透析を勧める大きな理由の一つです。

もう一つ、大切なポイントがあります。高齢者に透析を導入する際には、「余命が限られていること」をしっかり説明すべきだということです。

例えば80代であれば、平均余命は3〜4年程度です。透析患者さんは一般の人よりも寿命が短く、だいたい半分くらいだと言われています。

つまり、80歳という年齢自体が「すでにお迎えが近い」状況なのに、その段階で血液透析を始めるという選択をするのであれば、それなりの覚悟が必要です。70代であっても同様です。

そのようなことを患者さんに説明した上で、「透析を始めたら入院になるかもしれない」「透析をしたからといって元気になるわけではない」という現実を、患者さんとしっかり共有する必要があります。

「病院に行けば何とか元気になれる」というのは幻想ですので、「そうではない」ときちんと伝えるのが医療者の役割だと思います。

「透析をしない」という選択肢については、後ほど触れますが、これは安楽死などとセットで考えないと難しい問題です。

社会的入院に関しては、いわばディストピアのような状態になってしまうので、それを考えると、私は高齢者に血液透析を勧めるべきではないと思っています。

高齢者にとって本当に大事なのは、「どう生きるか」よりも「どう死ぬか」です。その中で、在宅医療としての腹膜透析の価値は非常に高いと考えます。これをどう提供していくかが、次の重要なテーマになります。

大西: 「なぜ腹膜透析は普及しないのか」という次のテーマについてお尋ねします。先生はどうお考えでしょうか?

松本先生: 現在、日本における腹膜透析の普及率はわずか約3%にすぎません。これは単純な問題ではなく、いくつもの要因が重なっている複合的な問題です。

第一の問題は、透析導入時に腹膜透析や腎移植の説明が十分に行われていないことです。

あるいは、医療者は説明したつもりでも、患者さんは末期腎不全の診断でショック状態にあり、内容を覚えていないことが多いのです。

実際に移植を受けた患者さんに聞くと、「そんな説明は受けていない」「もっと早く教えてくれていたら腹膜透析も選んでいた」という方がほとんどです。

中には、詳しい説明もなく手術を始められたという例も、鹿児島などで聞きます。ただこれは鹿児島に限らず、全国でも見られる話のようです。

治療の選択において、以前は「インフォームド・コンセント」が重視されていましたが、現在は「SDM(共同意思決定)」が推奨されています。しかし、SDMがうまくいかない現実はよく知られており、人はしばしば不合理な選択をしてしまいます。

そこで注目されているのが、「コラボラティブディシジョンメイキング」や「ナッジ(Nudge)」という考え方です。これは、善意ある知識人が「こうした方が良いですよ」と提案する行動科学の手法で、ノーベル経済学賞も受賞した概念です。

例えば、「あなたは高齢者で腎不全なので、血液透析よりも腹膜透析のほうが合っていますよ」と専門家が優しく背中を押す。これはまさにナッジの一例です。ワインのソムリエのように、最適な選択を示す役割です。

さらに日本には、専門医制度の問題もあります。医師や看護師の資格制度が、時に「資格ビジネス化」してしまい、真の知識や経験を反映していないケースがあるのです。

例えば、専門医の証書を掲げていても、移植や腹膜透析に関する知識がほとんどない医師もいます。特に制度移行期に、無試験で指導医資格を得た世代の下で学んだ若手医師が、そのまま専門医になってしまうという構造があります。

患者さんはそれを見抜けず、医師の肩書だけを信じてしまいます。これも大きな課題です。

昨年(2022年)、ニューイングランド・ジャーナル・オブ・メディシンに腹膜透析のレビュー論文が掲載されました。その冒頭にも、「腹膜透析推進の最大の障害は、医療者の経験・知識・学習不足である」と明記されており、これは私一人の意見ではありません。

さらに深刻な問題として、「血液透析利権」の存在があります。例えば、透析クリニックに患者を紹介すると、医師にキックバック(紹介料)が支払われるケースがあったりします。最近では、臨床工学技士がこうした行為で摘発される事件も起きました。

こうした構造は、患者本位ではなく、経済的なインセンティブが医療の選択を歪めている証拠です。これは絶対にやめるべきです。

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